大著である。「各時代の日本人は、抽象的な思弁哲学のなかでよりも主として具体的な文学作品のなかで、その思想を表現してきた」とする著者は、各時代の文学作品を読み解く作業を通して、日本文化とは何かという壮大なテーマに取り組む。
上巻は古事記・日本書紀から元禄文化まで。著者の論述はいわゆる文学作品の枠を越え、鎌倉仏教思想や江戸期の朱子学などにも及ぶ。すなわち文学作品を基軸として見た日本思想史というべきか。驚くべきは取り上げた作品の数。少なくともこの上巻では歴史上残っているほとんどすべての作品と思われる。それぞれの時代や特定の作品に関する専門家はあまたいるだろうが、我が国に伝わるほとんどの文字資料(美術・造形作品も)に目を通し、全体としての日本文学史論を単独で展開した人は加藤周一氏の他にそうはいまい。「序説」という書名は概論という意味合いだろうが、それを一人でやってのけるところがすごい。作品全体を通して日本文化の土着性、仏教をはじめとする外来思想がこの国で変化しながら受け容れられていったことなどが述べられている。著者の関心の出発点でもあるが、日本人とは何かを考えさせてくれる本。
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この本のように、子どものころにおじいちゃんやおばあちゃんとたっぷり遊んだ子どもは幸せだ。生まれて間もない子どもとやがてこの世を去っていくおじいちゃんとの、考えてみればごく限られた時間の中での濃密な交わり。そこに命のつながりが見て取れる。作品ではおじいちゃんの赤いハンカチが象徴的にそのつながりを印象づけており、モノトーン調の絵の中でハンカチの赤が作品を引き締めている。すてきな絵本。
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重い自閉症の東田直樹くんはキーボードを使って自分の意思を表明することができる。今では何冊も本を出している。自閉症者のみんなが、東田くんのように自分の考えをしっかり持った人なのだろうか。だとすれば、コミュニケーションがとれないという状態は、本人にとってどれほどもどかしく辛いことだろう。自分の経験上、容易には意思を通わせられない自閉症者に、自分のほうが壁をつくってしまっていた。それはまちがいだった。
著者は自身の実態に基づいて自閉症者の行動パターンを具体的に述べている。例えば「言葉を使う難しさ」。「ありがとう」とお礼の言葉を言うべきところ、まるでとんちんかんの「いってらっしゃい」という言葉を発してしまったという。なぜそんな無関係な言葉を言ってしまったのか、その思考回路を説明したうえで、次のように書いている。「僕が言い間違えたと気づくのは、声に出していった言葉を、自分の耳で聞いたときです。けれども、後の祭りという感じで、周りの人から指摘されたり、笑われたりします。こんなことさえわからないという周囲のあきらめや同情は、僕を余計に、みじめな気分にさせます。ただ打ちひしがれるしかありません。ぼくたちはできないことに傷つく以上に、周りの人の態度や気持ちで心が折れてしまいます。」
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